1997年12月に公開され、大ヒットした映画『タイタニック』。
タイタニック号を舞台に、船上で出会った貧しい青年ジャック(レオナルド・ディカプリオ)と資産家令嬢ローズ(ケイト・ウィンスレット)が恋に落ち、感動的な結末を迎える物語でした。
何度観ても涙が出てきます。。。
でも、この二人は架空の人物で、二人のラブストリーはフィクションでした。
実は、この映画には実在したカップルも登場しているんです。
タイタニック号沈没事故のこと、そのカップルとは、一体どんな人物だったのかをまとめました。
スポンサードリンク
タイタニック号沈没事故 海難事故の最大死者数
当時世界最大の客船であったタイタニック号ですが、沈没事故はイギリス・サウサンプトンからアメリカ合衆国・ニューヨーク行きの処女航海中の4日目に、北大西洋上で氷山に接触し、翌日未明にかけて沈没しました。
1912年4月14日の23時40分(事故現場時間)に氷山に衝突した時には2,224人を乗せていました。
事故が起きてから2時間40分後の翌4月15日の2時20分に沈没し、1,514人が亡くなりました。
これは1912年当時、海難事故の最大死者数でした。
ウィキペディアによれば、当時タイタニック号は「決して沈まない船」という触れ込みで大々的に宣伝されていて、造船会社の関係者たちは誰もタイタニック号が沈没する可能性を想定していなかったため、救命ボートは本来必要な数の半分程度しか用意されていなかったとか。
”タイタニック”に出てくる実在したイジドーとアイダのラブストーリー
レオナルド・ディカプリオが演じるジャックとケイト・ウィンスレットが演じるローズは架空の人物で、ふたりのラブストリーはフィクションです。
タイタニック号で、沈没するタイタニック号から脱出することを諦めて、ベッドの上で祈るように最期を迎える老夫婦を覚えていますか?
部屋が浸水し始めると夫は妻の手をしっかり握って、頬に優しくキスをするシーンにはジーンきました。
この映画で監督を務めたジェームズ・キャメロンによると、このご夫婦は実在した方で、ご主人は米百貨店メイシーズの経営者、イジドー・ストラウス(当時67歳)とアイダ・ストラウス(当時63歳)。
船が浸水し始めると、ストラウス夫妻は家政婦のバードを連れ立って救命号ボートのそばへ向いました。
このボートは「女性優先」とされていましたが、すでに高齢のイジドーに対しては例外的にボートに乗り込むことが認められました。
でも、イジドーは「男の私が女性と子供を差し置いてボートに乗るわけにはいきません」と言って、ボートに乗り込むことを断りました。
イジドーは妻のアイダにボートに乗るよう促したのですが、アイダは「私たちは長年連れ添ってきました。あなたが行くところに私も向かいます」と言って、彼女もボートに乗らず最期まで夫と共にいようとしました。
彼女のこの言葉は、すでにこのボートへ乗り移っていた乗客やボートデッキにいた多数の乗客が耳にしていると。
アイダは、もはや不必要となった毛皮のコートを家政婦のバードに着せて彼女をボートに乗せ、夫妻は沈みゆくタイタニック号のデッキで腕を組み、寄り添っていたそうですが、それが夫妻が目撃された最期の姿だったと。
2人ともボートに乗ることはできたのに。。。
ジドー・ストラウスとアイダ・ストラウスの死後
タイタニック号の沈没事故後、アイダの遺体は最後まで発見されませんでしたが、イジドーの遺体は発見され、ポケットから遺品が見つかりました。
遺品は長女と長男の写真を入れたロケットペンダントで、ニューヨーク市立大学の教授をしているというひ孫のポール・クスマンさんが今も大切に保管しているそう。
また、メイドだったエレン・バードが無事救出された後、ストラウス家を訪れてアイダのコートを返却しようとしたそうですが、ポールさんの祖母・サラさんは、遺品であるはずのそのコートを受け取ろうとしなかったといいます。
ニューヨークのブロンクス区にあるウッドローン墓地のマウソレウムに、ストラウス夫妻の慰霊碑が献納されているそうです。
慰霊碑には、””Many waters cannot quench love, neither can the floods drown it.”(どれほど多くの水も愛を消すことはできない。それが大水に押し流されることもない)」と書かれているそうです。
まとめ
1912年5月12日にカーネギーホールで2人の追悼式が行われましたそうですが、その時の参列者は6,000人とも。
イジドーとアイダは、自分たちより女性や子供たちの命を最優先に考え、最期に潔い行動をとられたことに感動です。
見事な最期だと思います。
数年前に、韓国でセウォル号沈没事故がありましたが、あの時は船長が乗客を見捨てて逃げてしまったことを思い出しました。。。
スポンサードリンク